
シェイクスピア好き・蜷川さん好き・竜也くんのハムレット好き、としてはハズせません。
楽しみにし過ぎてチケット2回分取れちゃったくらい(1回しか観ていませんが)。
蜷川幸雄80周年記念作品
NINAGAWA×SHAKESPEARE LEGEND Ⅱ 「ハムレット」
作: W. シェイクスピア/翻訳: 河合祥一郎
演出: 蜷川幸雄
美術: 朝倉摂 中越司
照明: 服部基
出演: 藤原竜也 満島ひかり 満島真之介 横田栄司 内田健司 たかお鷹 鳳蘭 平幹二朗 ほか
2015年3月1日(日) 1:00pm シアター・ドラマシティ 6列上手
今回「新演出」と銘打たれている訳ですが、それは「ハムレット」としての新演出であって、「蜷川幸雄」としての新演出ではないなぁ、というのが最初の印象。
もちろん個人的な好みの問題もありますが、竜也くん初演の2003年版「ハムレット」の方が圧倒的に好きでした。私は。
劇場に入ると舞台上には古い長屋のセットが。
ここに、「このセットは日本で初めて『ハムレット』が紹介された19世紀末の貧しい民衆が住んでいた家屋です。この場所で、現在の私たちは「ハムレット」の最後の稽古を始めます。」
みたいな説明が日英両文で映し出されています。
その文章の意図はともかく、長屋は「滝の白糸」や「太陽2068」でも使われた朝倉摂さんの舞台装置で既視感アリアリ。
暗い中に浮かび上がる亡霊など、今回照明(服部基さん)がとても印象的だったのですが、そんな時にはまわりが長屋だったの忘れちゃうくらいだったので特に長屋にする必要はなかったのではないかしら。
この長屋の唯一の存在価値はあの井戸にあったのかとも思えますが。
この後台湾、そして本場ロンドン・バービカンシアターでの公演を控えていることもあってか、能や歌舞伎を意識したと思われる効果音や動き、読経のように聞こえるBGM、定式幕や緋毛氈も鮮やかなひな壇といったジャパネスクの演出も蜷川作品では既視感アリアリ、再び。
さらにはフォーティンブラス。これまでにもこの役には小栗旬くんや成宮寛貴くんといったブレイク前ながら注目の若手を起用してきた蜷川さんですから、フォーティンブラスには思い入れも期待もあるようにお見受けします。
今回この役に抜擢されたのはさいたまネクストシアターの期待の新星・内田健司くん。
これまでのワイルド系から一転、蒼白で線の細い草食系のフォーティンブラスで、これは確かに新演出(笑)。
それはいいとして、いつもほとんど半裸で小さな声でつぶやく台詞がほとんど聞き取れなかったのはどうでしょう。
あれはああいう演出なのかと終演後調べようとしたら、「フォーティンブラス 声が小さい」と検索ワードに出てきて笑ってしまいました。
ラストの鎮魂の場へと静かに繋ぐということには成功しているとは言えますが、繊細で儚げなのと台詞の声が聞こえないのとは別の次元の問題だと思うのですが。
フォーティンブラスといえば、昨年観た子供のためのシェイクスピア版「ハムレット」の中での、「“父王を喪ったもの同士”としてハムレットと対をなす存在」という解釈がとても好きでしたので、このあたりも今回物足りなく感じた要因のひとつかもしれません。
とはいうものの。
そんなこんなを補って余りある藤原竜也くん渾身のハムレット。
藤原竜也くんの演技や台詞回しについては、好みは分かれるところだと思いますが、熱演である点においては(too muchと感じる向きはあるにしても)異論を唱える人はいないのではないかしら。
深く激しく怒り嘆き悩み苦しみ、あれだけの熱量をもって終始存在し続けるパッション。
あの膨大な台詞をひと言も漏らさず観客に訴えることのできる技量。
竜也くんは前作「ジュリアス・シーザー」のアントニーでこれまでとは違う次元の演技を見せてくれたのですが、12年の時を経た今回のハムレットは、若さのままに疾走する青年ではなく、大人として、一人の人間としてありながら自らの矛盾に苦悩する、重厚で骨太のハムレットとして私たちの前に存在していました。
大人なハムレットといえば、今回ガートルードとの寝室の場面がかなり大人。
もともと近親相姦を感じさせる二人の場面ではありますが、ハムレットがガートルードを組み伏して、かなり直接的に描かれた演出で驚きました。
もう一つ、クローディアスの殺害を思いとどまる場面(例の井戸の水垢離の場面ね)。
ここのハムレットのモノローグは、クローディアスに気づかれない設定なので、ほとんどささやくようなウイスパリング・・何て言ったらいいんだろ、「無音の声」といったトーンで語られる台詞なのですが、これが一言ひと言ちゃんと「言葉」として届くところに藤原竜也の技量の高さを見せつけられた思い。
内田くん、よく観て勉強してくださいねと申しあげたい。
このハムレットに対峙するものとして存在するクローディアスは平幹二朗さんくらいじゃないと太刀打ちできない感じ。
実際、その圧倒的な存在感と威厳。清濁併せ呑むといった趣で悪人だけど魅力的。
台詞の確かさもすばらしかったです。
クローディアスが大人で人間的に感じられる分、ハムレットの狂気よりが鮮明に浮かび上がる構図。
が、
ハムレットとクローディアス、そして、あえて加えるなら鳳蘭さんのガートルードの3人がつくり出す世界が濃厚すぎて、バランス的にそれ以外の人たちと少しトーンが違うようにも感じられました。
そのせいか、ハムレットとオフィーリアの関係が今ひとつくっきり浮かんでこない印象。
満島ひかりちゃんのオフィーリアは可憐で透明感もあって、特に正気を失ってからの無垢な歌声、その憐れさには心打たれるものがあって、単独で観ると遜色ないオフィーリアなのですが、竜也くんハムレットとの芝居(たとえば「尼寺へ行け!」と罵倒されて「気高いお心が・・」と嘆く場面)ではテンションに開きがあるように感じられてしまったのでした。
レアティーズの満島真之介くんも同様。
上背あって声もよく出ていますが、どこか淡泊な印象。
あと、真之介くんはただ立っているだけの姿勢があまり美しくなくて残念。
殺陣も含めて、これからの鍛練に期待。
他には、たかお鷹さんの飄々としたボローニアス。
そして横田栄司さんのメガネインテリ風ホレイシオの賢明で地に足ついた雰囲気が印象的。
あんな人だからこそ、ハムレットは「天国へ行く幸福はしばしあきらめて、ことの真相を世に伝えてくれ」と自らの亡き後を託すことができたのだろうな、という説得力のあるホレイシオでした。
カーテンコール。
満島ひかりちゃんが真之介くんのズボンを後ろから引っ張りながら出てきたりしてじゃれ合っていました。
最後は真之介くんがひかりちゃんの肩を抱いて二人で客席に笑顔。仲のいい姉弟だな。
「あとは沈黙」の地獄度



藤原くんのハムレット、大迫力でしたね。
私は2階席からの観劇だったのですが、ウィスパーの時も、本当にクリアに台詞も感情も届いて来て、さすがだなあ、と思いました。
平さんとのシーンの緊迫感も凄かったですね。
息を呑んで見つめてしまいました。
フォーティンブラス・・・そんな検索ワードが出たとは!(笑)
あの造形、私は結構好きだったのですが、確かに声は小さかったですよねー。
他の舞台では、彼はどんな演技をするのか、むしろ気になっちゃいました(笑)。
こちらにもコメントありがとうございます。
藤原竜也くんのハムレット、本当に渾身の演技ですごい迫力でした。
最後は顔が真っ赤になっているくらいでした。
平さん、鳳さんとのシーンもすごかったですね。
フォーティンブラスのあり方については、新鮮で私も嫌いではありませんでした。
でも台詞が聴き取れないのはなぁ・・。
内田健司くんは昨年観た「太陽2068」では少なくとも声はちゃんと
聞えましたので、今回は演出なのかなと思って調べたら・・・(笑)。
次回作「リチャード二世」はタイトルロールですよね。
残念ながら私は観に行きませんが、どんな舞台を見せてくれるのか楽しみです。
そうそう、満島真之介くんの立ち姿! 背中をバシッとやりたくなりましたね。
私にとって、さいたま芸術劇場は、見に行くだけでもものすごくエネルギーが必要で、毎回どうしようかなと迷うんですが、それでも行ってしまう。帰ってきてからグチグチ言ってもまた行ってしまう、そんな蜷川シェイクスピア、です。
まぁ!きびだんごさまと同じ感覚だなんて光栄です。
いろいろと言いたいことはありましたが(笑)、クォリティ高い舞台
であることは間違いないですけれどね。
>そうそう、満島真之介くんの立ち姿! 背中をバシッとやりたくなりましたね。
そうそう!(笑)
ちゃんと背筋伸ばして、凛として・・・と言いたくなりました。
藤原竜也くんの立ち姿が美しいのでなおさらです。
私、学生時代にシェイクスピア全作品読んだのです。
原書で読んだ作品もいくつかあるのですが、完璧に忘れているものも(^^ゞ
蜷川シェイクスピアで復習と発見の日々です。
さいたま芸術劇場って私まだ行ったことがなくて、いつか行ってみたい
あこがれの劇場のひとつです。
でも東京の方にとってはあの劇場があるために都内で公演がないといった
ことになって、それは良し悪しなのでしょうか。