2018年02月26日

まるでパンドラの箱


古いアルバムの写真を取り出す必要が生じて、昨夜、自分で「アンタッチャブル」と名づけているクローゼット(といっても壁一面つくりつけの中の扉のひとつだけど)を思い切って開けることとなりました。

お目当てのアルバムにすぐにアクセスできた後も、子どもの頃や学生時代、さらには毎年海外旅行に行っていた頃のたくさんの懐かしい写真を見てしばし郷愁にふけったり。

その他にも「何でこれをここに入れたの?」と思うようなものがあれこれ出てきたのですが、
中でも



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十八代目 中村勘三郎さん 襲名披露の際のてぬぐい  と
十代目 坂東三津五郎さん 襲名記念出版に直筆のサインが入ったもの


三津五郎さんの襲名が2001年、勘三郎さんが2005年。
私はどちらの後援会にも入っていませんので、これらのものは親しくさせていただいていたご贔屓筋の方からいただいたものだったかと記憶していますが、多分お2人が鬼籍に入られた後、見るのがつらくなってここに入れ、そのままになっていたものかと思います。

何を観ても勘三郎さんを思い出して泣く、ということはさすがになくなりましたが、今でも時折「どうして今、ここに勘三郎さんがいないんだろう」と信じられない気持ちに襲われることがあります。
でも、昨日は泣いたな。
ぶわっと悲しみが吹き出してきて、まるでパンドラの箱を開けてしまった気分。
やっぱりここはアンタッチャブルでした。


このアンタッチャブルからはこんなものも出てきました。

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十二代目 市川團十郎さんと現 海老蔵さんが新之助時代のサイン。
これは大阪で開かれた某会合でご本人からいいただいたものだったでしょうか。


いずれにしても、記憶を封印したいものを入れていたという訳です。



勘三郎さんも三津五郎さんも團十郎さんもいないなんて の地獄度 (total 1880 vs 1888 )


posted by スキップ at 23:10| Comment(0) | 歌舞伎・伝統芸能 | 更新情報をチェックする